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心の片付けで甲殻類アレルギー克服
エビとカニで死にかけます。
子どもの頃、今ではメジャー、当時はマイナーな「アナフィラキシーショック」により入院。
当時珍しかったのか医師の経験不足か、「川崎病の末期」と診断され親は我が子の死の宣告を受ける。
みたいなことがありまして。幼心に自分は死ぬんだと思ったことを覚えています。素直な純真無垢な幼な子はクリスチャンホームで育ちましたので「天国に行くんだなぁ〜。どんなところかなぁ〜」くらいに思ってたので恐れとかそう言うのはなかったけど。
しかし、どんどん擦れた大人に育ち、生きることへの執着が出てきた私。苦しんで死なないように気をつけてますが、トライアンドエラーの繰り返しです。ちなみに今もクリスチャンマインドなので死ぬことに対しての恐怖はない。人はいつか死ぬし、神は命を与えられてその時が来たら取られるだけ。裸で生まれたのだから何も持たずに死んでいくのが自然。だから今日死んでも良いように生きようと思うだけ。
ただ、自分で命をたつのはおこがましく、命をコントロールして良いのは神様だけだと思ってるので、その辺は健康に気をつけて体に悪いと分かった時点で改める方がいいかなと。
なので、お酒はたまーに嗜む程度、月に一回飲めば飲んでる方なので休肝日とかそんな言葉とは無縁だし、タバコは吸わない、アレルギーと分かっているなら避ける。クマが出るなら近寄らないし蜂がいるなら逃げるってなもんです。ややこしい危険な人にも近づかない。(色んな意味で)
けど知らずに足を踏み込んでしまうことも。興味本位で近寄りたくなることも。
え?かっぱえびせんもあかんのやー!と分かったり
あら?カニカマはいけちゃう?と分かったり
大人になってもカップヌードルに入ってる干しエビみたいなやつ食べてしまって救急で病院に連れていってもらい点滴して帰る、なんてことも。
ここ3年前くらいから「その物を食べなかったらエキスは大丈夫」となってきてましたが、いよいよ完治だと気づきました。
私はどちらかと言うと現実派でスピリチュアル系ではないのですが、
クリスチャンであると言うことは見えないものを信じると言う傾向があるのかもしれない。
ゴリゴリのスピリチュアル系の人は苦手だけど、私の信頼できる人はそれとはまた違ったタイプの方。その方に「アレルギーって治ると思います?」と聞いたら「治るよ」と即答。
ココ一年濃いお付き合いをしていただいたお姉さんですし健康について今までこれほど的確な人はいないという方。カフェでほんのちょっと会っただけで「美穂さんちょっと気になるから甲状腺見てもらってね」と教えてくれた恩人。
医者が外から見ても分からないほどの中身の硬化した腫れがエコーで見つかりました。
その人に「かくかくしかじかで3年前娘と台湾行った時どーしても火鍋が食べたくて。でも言葉が通じないからえびがドーンと入ったのが来て、なんか行けそうな気がするーと思って流石に海外だしエビそのものはやめたけどスープ飲んでもなんともなかったんですー」みたいに話すと
笑顔で「美穂さんもうアレルギーないと思うよ」と。「その、いけると言う感覚大事にしたらいいよ」と。
えー❤️うそーん❤️また甘エビ堪能できるの?
とか思ってましたが
食べてもなんともなかった!
えびせん食べても平気!
コストコのチョレギサラダに入ってた蒸しエビも食べたけどなんともない!
となりまして。
不思議だと思いつつ今度は思い切ってカニ鍋食べてみようと思います。
で、たまたま別のことを調べてる時にネットサーフィンしてしまい、ある接骨院の方のブログにたどり着いて見たら、なんとこんな一文を発見。
『甲殻類のアレルギー』だった場合、あなたの心は殻に閉じこもっている可能性があります。
た!し!か!に!
子どもの頃良い子でいるように頑張りすぎてたし祖母と折り合いが悪くて母からは「頼むから我慢して!」「ややこしいことになるから黙ってて!」「あんたが我慢したら丸く収まるねんから!」と言われ続けてきました。母も三交代の病院勤務だったし、疲れ果てていたので自分が母になった今は、なんとなくわかる気がする。
私自身、20歳から子ども5人を次々産んで。実家も少し距離があるのとその祖母の介護で母も忙しく心も身体も病んでいたので頼る人もおらず。
周りからはこれ見よがしに聞こえるように「子どもが子供育ててる」だの「母親らしくない」だの「あんな爪とヒールの靴でよく子供連れて来れるわ」と子育てサークルではみごとか。
子どもが入院すると付き添いで、全く離れることが許されない病院で。
昼ごはんを買いに行きたいと言っても看護師さんから「代わりの人がいないと子供から目を離されるとこまる」と言われて。「どなたか助けてくれる人いないんですか?お母様は?」と言われるたびに惨めになり。頑張らないと、と思い続け。流石に子どものオムツが切れた時買いに行きたいと言うと、行かれたら困る、その間何があっても責任持ちませんよ、と言われた時は感情が吹き出して泣きながらどうしたらいいか教えてください!って叫んだことも。
20年前の田舎の総合病院はほんとに世知辛い。今は全くそんなことないし売店も充実してるし、いい世の中になったなと思う。
これは、土地柄もあったと思う。別の機会に別の病気で息子も命の宣告を受け移植の話になり、長期入院したのは大阪の名医のいる病院。そこでは同じ部屋のママ達が「私買い物行ってくるわー!欲しいものある人ー?」ってみんなで協力しあったり何も頼まなくても「遠慮せんでええし!ケンタッキーってたまに食べたくなるよね!」ってバケツで買ってきて配ってる人がいたり。付き添いの親はお風呂に入れなかったので近くの銭湯に行くのに「じゅんばんこしよ!1人ずつ行ってみんなで見てよう!」とDVD上映会してたり。私はその当時4人目妊娠8ヶ月だったので、本当に良くしてもらって。同じ大部屋でも全然違った。大阪、やっぱええまちや。って思った。
話がそれましたが、入院中出れなくてご飯食べれてないとメールしたら、夫が夜中こっそり病院に来てカップラーメンを大量に買って置いて行ってくれた。毎食食べてたら、先に書いたカップヌードルで蕁麻疹ですよ。それも我慢してて付き添いだから子どものベッドで一緒に寝てる私の様子がおかしいと、見回りに来た看護師さんがナースコール押してくれて車椅子に乗せられて救急の部屋で点滴打たれたことも。
点滴後戻ってまた子どもの看病、みたいなことを毎月してたこともありました。(子供2人が重度の喘息持ちでしょっちゅう入院)
それなのに入院してお金かかるし、私の点滴までしたらまたお金かかるから点滴しなくて良い!しかも深夜料金かかるやん!なんて思ってたから今思うとオソロシー。
片付けで気持ちや感情のいるいらん、心地よく付き合える人の線引き、住む場所まで変える決断、いろんなことをして自分にとって1番良いこと、もの、人を選び続け、アレルギーまで治った。
ちなみに、重度の喘息2人も酷いアトピーによる投薬で皮膚の色が変化してしまい象の皮膚のようになっていた子も
今はその面影がないほど綺麗で健康に。
もちろんその時の経験は宝ですが、経験持ってるだけでは宝の持ち腐れなのでこうして発信することにも意味があるのかなと思ったりしました。
今回はちょっと重い話みたいなので最後はカラッと。
ほんまに、病は気から、やでぇー!!!
心が元気だと身体も元気!!
そのために睡眠、質の良い食事、嫌なことをしない!!!
これ書いてる時、外は雨で。
こんな日は何もやる気がなくなるって人は何もしなくて良いと思う。
私も以前は結構お天気に左右されてましたが今は自分の機嫌は自分で取れるように。
冬物のフリースパジャマで大失敗。半身浴して上がってきたら汗が止まらないのに汗を吸わないから「とりゃ〜!」とゴミ箱に捨てました😁もう2度とフリースパジャマは買わない。
何よりいろんなことをしてるうちに平均体温が上がってきて低体温を卒業!寝てる時フリースパジャマは暑くてかなわん!となりました。
雨ですが、先日届いた紫の革のドライビングシューズをおろし、お気に入りの愛車のメルちゃんに乗って、ネイルサロンに行って爪を桜色にしてもらい、素敵なパジャマを探しに行こうと思います😊